サクラ大戦25周年を勝手に応援!「アニメで究めろサクラ道!」09:俺たちゃ降魔人間なのさ♪暗いさだめを吹き飛ばせなかった一作『新サクラ大戦 the Animation』

 2019年3月30日。

 「みなさん、今年も、”桜”の季節がやってまいりました……」

 と、セガフェス2019ステージで里見CEOが切り出した時の興奮を、私は今でも忘れない。ゲーム「新サクラ大戦」の内容が初めて解禁された日である。

 メインスタッフを一新。キャラクターデザインは「BLEACH」の久保帯人!
 新花組の声優には佐倉綾音、早見沙織など超人気声優を起用!
 発売前からアニメ化、舞台化も決定!

 続報のたび、胸が高鳴った。「サクラ」のメインシリーズが「V」以来停滞して14年、舞台展開も停止して、「サクラ」は冬の時代に入っていた。耳に入るニュースはソシャゲのコラボイベントくらい。だがどうやら「新サクラ大戦」は、そんなちっぽけなリバイバル企画じゃない。セガが本気で、浪漫の嵐を起こそうとしている……! そう思ったのは私だけではなかっただろう。

 2019年12月12日。

 発売されたゲーム版「新サクラ大戦」はしかし、背負った期待を完全に果たすものではなかった。
 過去作のヒロインを死亡に近い扱いにしたことで、一部オールドファンの怒りを買う。魅力的な新キャラや音楽を生み出しながらも、アクションゲームとしての冗長さ、ストーリーの尻切れ感といった欠点は覆い難く、評価は賛否両論だった。
 だがそれでも、まだアニメがある。多くの人が手軽に見られるTVアニメが傑作であれば、「サクラ」の天下がまたやってくるはずだ……!

 そして2020年4月3日、『新サクラ大戦 the Animation』の放映が始まった。

「新サクラ」の挑戦

 だが残念ながら、『新サクラ大戦 the Animation』も、新たな「サクラ」ブームを巻き起こせる作品ではなかった。それは現在、「新サクラ大戦」関連の作品展開が止まってしまっていることからもわかる。
 個人的感想を言えば、これまで紹介してきた『サクラ大戦』アニメの中でも、本作は特に観るのがしんどい。どこが悪い、というより、満遍なくつまらず、良いところがない、という感じなのだ。表情も動きも硬い3Dキャラクター、説明的で辛気臭いストーリー、etc.……。裾野を広げるはずのTV版が、ファンがガッカリする出来というのは、「サクラ大戦」の運命なのかもしれない(本連載『サクラ大戦TV』の回を参照 https://aninado.com/archives/2021/04/24/756/)。
 ただし改めて見直してみると、過去作のキャラを大胆に切り捨てたゲーム版と同様、『新サクラ大戦 the Animation』もまた、「新」たろうとする挑戦に満ちた作品ではあったと思う。

華撃団の政治的駆け引き

 太正30年。強大な敵との戦いで、帝都が旧華撃団を失って10年以上の時が経っていた。
 人々を降魔から守っていたのは、天宮さくらを始めとする5人の新生帝国華撃団だった。そんな中、隊長の神山が欧州より、謎の少女クラーラを伴って帰還する。彼女はある事故に巻き込まれ、過去の記憶を失っていた。やがてクラーラを追って現れる、謎の怪人と莫斯科(モスクワ)華撃団。彼女は一体何者なのか……?

 というのがアニメ版のあらすじだ。ゲーム版の直接の後日談になっている。
 本作の新たな挑戦としてまず、華撃団同士の国際的対立を描いたことがある。
 「新サクラ」より前の作品では、フランス・アメリカ・日本の華撃団が登場するが、基本的には国を超えた協力関係にあった。これは、旧「サクラ」シリーズの根底に流れる国際性、楽天性を反映したものと言えるだろう。かつての「サクラ大戦」は、第二次世界大戦に至らない理想的架空史の中で、国籍に捉われない世界市民たちが集う場所としての都市(パリ、ニューヨーク、東京)を、肯定するための物語であった。
 一方ゲーム版「新サクラ」では、2020年東京オリンピックを意識したと思しき競技大会「華撃団大戦」が設定され、各国の華撃団はライバルになる。物語序盤では、帝都の守りを上海華撃団に助けてもらうことへのコンプレックスも描かれており、深読みすれば日米安保の暗喩に見えなくもない。旧来の「サクラ大戦」と比べ、ナショナリズムの色が濃くなっていると言えよう。
 この路線はアニメ版ではさらに推し進められた。世界のパワーバランスを壊しかねない霊力を秘めたクラーラを巡り、帝都とモスクワの華撃団が争うという構図である。両者はいきなりドンパチするわけではない。ともに華撃団連盟という国際的上部組織に縛られているため、上のお墨付きを得る工作や情報戦が重要になってきて、リアリズムがある。まあ、ロシアが派手な行動をとった時に国連が止められるかという話なわけで、今見ると洒落にならないのだが……。
 旧来のお気楽な世界から、現実的な政治的駆け引きへ、華撃団を引きずり出す。この方向性自体は、面白い試みだったと思う。ただし、徹底されていなかった。たとえば本作の莫斯科華撃団は、いきなり空中戦艦を帝都に乗りつけて登場する。いかにも「サクラ大戦」らしい外連味とも言えるが、完全に領空侵犯行為であって、リアルな国際対立はどっちらけになってしまう。「サクラ大戦」のお祭り的な美学と、シビアな国際政治の間には、明らかに矛盾がある。その矛盾は本作で特に糊塗されることなく、そのまま露出してしまい、シリアスになりきれない作品になってしまっていた。

降魔人間って一体何だったの?

 莫斯科華撃団との対決と並び、本作のストーリーの中心にあったのが、新キャラ・クラーラを巡る謎だ。以前紹介した『サクラ大戦 活動写真』と同じく、オリジナルキャラクターによってストーリーを引っ張る手法である。彼女の正体は後半で明かされ、本作のもう一つの新機軸、大ネタとして話題になった。
 曰く、クラーラは降魔人間である。降魔人間とは、降魔と人間の細胞をかけ合わせた生命体だ。かつてナターリャという心優しき科学者が、降魔と人間の共生を願い、両者の架け橋となることを願って、クラーラを作った。しかし、降魔人間の持つ強大な霊力は、世界を掌握せんとする悪人たちの狙うところとなってしまった。
 従来の「サクラ大戦」シリーズにおいては、降魔は基本的に絶対悪だった(※)。だが本作では、害意のない降魔が人間に排斥されたり、兵器として利用されたりする様が、同情すべきものとして映される。人間と降魔、善悪の二項対立を疑い、多様性や差別といったテーマにまで切り込む新設定として導入されたのが降魔人間だったのだろう。
 第9話でこの設定が明かされた時、確かに「サクラ」ファンに話題を呼んでいた。ただし、その内実は主として困惑だった。
 そもそもサクラ大戦における降魔とは、東京湾に沈んだ古代都市・大和の住民たちの怨念である。見た目はまんまギーガーのエイリアンであるものの、幽霊に近いスピリチュアルな存在だ。だから細胞が云々というバイオテクノロジーの対象になるのは、元々の世界観からはかなりキワキワな設定である。まして降魔は怨念そのものなのだから、人間と降魔の平和共存というのは定義上意味不明であり、受け入れ難いものだった(※※)。
 もちろん、これまでありえなかった設定だからこそ面白い、というロジックもありうる。制作陣もそう考えていたと思う。だが、旧来の設定を大きく逸脱するのなら、その分きちんと新しい降魔像を説明してほしいのが人情じゃないか。クラーラが架け橋になる、とナターリャは言うが、じゃあ具体的にどう共存するのか、想像の材料は提供されない。そりゃクラーラみたいな美少女ならいいが、言葉の通じないエイリアンが、突然襲ってくるのが大多数の降魔ですよ? いくらなんでも説明不足である。
 そして、境界的存在の力と苦悩というテーマは、サクラとしては新機軸でも、日本のサブカルではありふれたものだ。「仮面ライダー」、『魔法少女まどか☆マギカ』、「シン・ウルトラマン」だっていい。この錚々たる伝統に、『新サクラ大戦 the Animation』が何を加えたかと問うてみれば、手垢のついたテーマを手垢のついた演出でやっているだけという印象はぬぐえない。クラーラがイヤボーン(美少女が「イヤーッ!」と叫ぶとボーン! と爆発して真の力が覚醒するやつ)をそのまんまやった時には、さすがに笑ってしまった。90年前後の「サルでも描けるまんが教室」ですでにあるあるギャグだったわけで……。

次の春を待って

 『新サクラ大戦 the Animation』は、挑戦に満ちた作品ではあった。国際政治の荒波に揉まれる華撃団、二元論を覆す降魔人間。きちんと展開すれば、どちらもサクラ大戦の新たな魅力を引き出すことができたと思う。しかし結局、その可能性は可能性のままに終わってしまった。
 ゲーム版もそうなのだが、「新サクラ大戦」って、企画はめちゃくちゃ面白そうなのだ。華撃団大戦によるスポ根要素の導入! とか、島田フミカネやいとうのいぢなど、一流イラストレーターを招いてサブキャラクターをデザインしてもらう! とか、わくわくする試みはいろいろあった。だが、どれもこれもゲーム中さらっと言及されるだけで、消化不良に終わっていた。アニメ版も同じであったように思う。
 私見では唯一こうした消化不良感を逃れていたのが、舞台版「新サクラ大戦 the Stage」だ。最後発の有利を活かし、ゲーム版の問題点をケアした語りなおしになっていた(「サクラ大戦 漫画版」のようなものといえば、サクラファンには伝わるだろう)。「新サクラ」に不満を持った人ほどおすすめできる。しかし「the Stage」も、今年4月の公演を最後に、情報が途絶えた。

 この連載の最初、私は次のように書いた。

 2019年末のゲーム「新サクラ大戦」発売に始まり、2020年に同作のアニメ版と舞台版、そして同年末にソシャゲ「サクラ革命」がスタート。最近のサクラ大戦の怒涛の展開は、ファンでなくとも印象に残っているだろう。そして2021年は25周年の記念イヤー。何も起こらないはずはない。

 しかしその後、「新サクラ大戦」のような大きな発表は何もないまま今に至っている。「最近のサクラ大戦の怒涛の展開」は、完全に沈静化した。
 おそらくもう一度、「サクラ大戦」の冬が始まった、気がする。
 なに、もう慣れっこである。次の春を待つための過去作の蓄えは腐るほどあるのだ。何度見たって『桜華絢爛』のゲキテイは素晴らしいのだから。『サクラ』アニメとともに、のんびりと次の「夢のつづき」を待とうではないか。

(※)たとえば初代「サクラ大戦」のあやめ=殺女は、プレイヤーの共感を誘う降魔として、クラーラの先輩と言える。ただし、あやめは元々人間だったのが降魔になって悪堕ちし、その後自分を取り戻して天使に変身するので、降魔=悪という基本図式を大きく崩すものではない。

(※※)実は「サクラ大戦2」のラスボス・京極慶吾もまた、人と降魔の共存という大義を掲げていた。しかしそれは慶吾が自己正当化に持ち出した屁理屈にすぎないとして、華撃団たちに反論されていた。

サークル夜話.zipによる幻のC98新刊、サクラ大戦評論本『〈サクラ大戦の遊び方〉がわかる本』は各委託書店・電子書籍販売サイトにて発売中。本記事を書いた新野安も編集・執筆で参加している。

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新野安
新野安(あらの・いおり)。1991年生まれの兼業ライター。サークル「夜話.zip」にてエロマンガ評論本を編集・執筆するとともに、『ユリイカ』『フィルカル』『マンガ論争』に寄稿。サクラ大戦のファンでもあり、2020年に『〈サクラ大戦の遊び方〉がわかる本』を発行した。推しはアイリス・ロベリア・昴・初穂・舞台版アナスタシア。