「本格”風”」どころじゃないミステリの快楽! 『映画クレヨンしんちゃん 謎メキ!花の天カス学園』

 クレヨンしんちゃんファンというわけでもない私が今回、『映画クレヨンしんちゃん 謎メキ!花の天カス学園』を観に行ったのは、「青春(ミステリー)の答えはひとつじゃない」というコピーの力によるものだった。このコピーを見て、「まさか今回、多重解決ものなのか!」と思ったのである。

 「多重解決」というのはミステリのジャンルで、謎(例えば、誰が犯人か?)に対して複数の解決(例えば、複数の「○○犯人説」)が提示される作品のこと。ある謎に対して名探偵がただひとつの真相を提示する、という典型的な本格ミステリの構成を解体する、まあまあマニアックでひねくれたやつだ。今回は学園ミステリだとは聞いていたが、そんなに気合が入っているのか! と期待を持って、私は劇場に向かったのだった。

 結果、本作は私の勝手な期待の斜め上をいく傑作だった。本作は狭義の多重解決ものではない。しかし、ミステリとして気合の入った作品であることは間違いない。そして、「たったひとつの謎と解決」に対する激烈な否定を伴う点において、多重解決のアンチミステリ的な性格を確かに持った作品でもある。以下、ネタバレを避けつつ本作がどのようにミステリを描いたのかを説明していきたい。

「バカミス」としての楽しさ

 しんちゃん、風間くん、ボーちゃん、マサオくん、ネネちゃんの五人は、全寮制の小中一貫校、「私立天下統一カスカベ学園」の一週間体験入学コースに参加する。そこでは、生徒達のあらゆる行動が監視され、AIによって「いかにエリートか」をポイントで評価される制度が敷かれていた。ポイントが高ければ、給食がかにしゃぶになるなどの特典が得られるが、落ちこぼれはパンの耳しか食べられない、超実力制の学校である。エリートを目指しポイントを貯める風間くんと、この制度に違和感を隠せないしんちゃんの間に溝ができ始めた時、ある事件が起こる。風間くんが吸血鬼ならぬ「吸ケツ鬼」に襲われ、しんちゃんを超えるおバカになってしまったのだ。かすかべ防衛隊は事件を解決し、風間くんを元に戻せるのか……?

 本作の広報の中では、「本格”風”学園ミステリ」という言葉が使われている。私はこれはとんでもない謙遜だと思う。結末があまりにおバカであるがゆえ、「本格ミステリ」そのものだとは言えないかもしれないが、しかし本作には「本格ミステリ」の楽しさがしっかりと息づいている。

 まずわかりやすいところで言うと、ダイイングメッセージの解釈だ。最初の現場検証で、風間くんが書き残した「33」というメッセージが発見される。これは一体何を意味するのか? いかにも「ミステリあるある」であり、いきなりわくわくさせてくれる。ちなみに作中でもこの「33」は「ダイイングメッセージ」と言及されるのだが、風間くんはおバカになってしまっただけで全然ダイイングしていない(死んでいない)ので、そのたびごとにボーちゃんがツッコむのが笑える。

 あるいは、不可能状況の解釈。本作では、フーダニット(誰が殺したか?)、ワイダニット(なぜ殺したか?)、ハウダニット(どう殺したか?)という三つの疑問が問われていく。この謎を解く上で、事件の二つの「不可能」をどう解釈するかが重要になってくる。周りに水がないのに、なぜ風間くんは発見時びしょ濡れだったのか? 犯行時、壊れているはずの時計台の鐘が鳴りひびいたのはなぜか? 「密室殺人もの」を思い出してもらえればわかるように、こうした不可能状況の解明もまた、ミステリではおなじみの設定である。

 本作はクレヨンしんちゃん劇場版らしく、一癖も二癖もある登場人物がたくさん登場する。そして彼らがいちいち怪しい。動機がある、アリバイがない、意味ありげな笑みをふと浮かべる。「どう考えても怪しい人」のみならず、「意外な犯人になりそうな人」もいる。本作はかなりミスリードに力が入っていて、終盤までフェイクの可能性も匂わせつつ進行する。こうしたミスリードに迷わされるのもまた、ミステリの楽しみだ。

 そして、謎解きの「アハ体験」。ハウダニットの真相にネネちゃんが行き着くシーンが素晴らしい。ネネちゃんはとある手がかりから電撃的に真相に到達する。その手がかりは、あきらかに手がかりらしきものとして登場しているのだが、正面から見てもその意味するところはわからない。いわばある「角度」をつけて見ることによって初めてメッセージが浮かび上がる。予め提示されていた手がかりを、一見するところとは異なる仕方で解釈して見せ、謎を解く。その「アハ体験」は、まさしくミステリの魅力の最良のものだろう。

 ちなみに本作の真相は先に書いたようにとてつもなくおバカなものだ。けれども本格ミステリの中には、馬鹿馬鹿しいトリックや設定を面白がる文化があって、「バカミス」なんて言葉があるくらいだ。青春ミステリというテーマも、有栖川有栖の「学生アリス」シリーズや古野まほろの「天帝」シリーズなど、本格ミステリの中に一定の存在感を持っている。そういう意味では、本作は本格ミステリの伝統をきっちり受け継いでいるとも言える。

反ミステリとしての「天カス学園」

 さてしかし、本作は単に良いミステリであるだけでは終わらない。謎解きを終えた後、クライマックスのアクションシーンが待っている。そしてここにこそ、本作の真価がある。

 このクライマックスは、エリートを目指す風間くんと、エリートになりきれないしんちゃん、ボーちゃん、マサオくん、ネネちゃんの最終対決になる。圧巻なのはこの対決の中で、謎解きの中で「犯人ではない」「事件に関係ない」として排除された全てのサブキャラクター達に活躍の場が用意されることだ。そして、「謎解き」という枠組みの中ではミスリードにしか見えなかった描写が、彼ら一人一人が抱える物語として、次々に感動的な結末を迎えていくのである。

 これは、ある特権的な「事件」と、特権的な「真相」を設定し、それ以外の要素を「ミスリード」として物語の中心から排除してしまう、謎解きミステリの構造そのものに対する批判と解釈できるだろう。「ミスリード」扱いされる人物にだって、それぞれの人生がある。謎解きが全てになってしまえば、彼らのかけがえのない生き様はムダな情報として切り落とされてしまう。

 そしてこの構造は、本作で最初から提示されていたエリート主義批判のテーマと響き合う。「エリート」という物差しで全てを判定し、そこから落ちこぼれたものは容赦無く切り捨てる天カス学園。しかし、本作のラストでとある人物が言うように、青春にとって「ムダなことなんてなにひとつない」。人生にミスリードも真相もないように、青春にエリートも落ちこぼれもないのだ。

 「ミステリー」的な物語構造を踏み台として否定し、他人と比較できないかけがえのない「青春」というテーマを、より鮮烈に輝かせる。単にミステリ的な楽しさを備えるのみならず、反ミステリとしても見事な本作にとって、「青春(ミステリー)の答えはひとつじゃない」というコピーは、やはりぴったりのものと言えるだろう。

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新野安
新野安(あらの・いおり)。1991年生まれの兼業ライター。サークル「夜話.zip」にてエロマンガ評論本を編集・執筆するとともに、『ユリイカ』『フィルカル』『マンガ論争』に寄稿。サクラ大戦のファンでもあり、2020年に『〈サクラ大戦の遊び方〉がわかる本』を発行した。推しはアイリス・ロベリア・昴・初穂・舞台版アナスタシア。