筆者は1930-50年代のアメリカンカートゥーン、すなわち漫画映画をこよなく愛する者の一人である。筆者が偏愛するスタジオの一つとして、『トムとジェリー』や『ドルーピー』といったシリーズにおいてアニメーション史上最良の作品を量産したMGMカートゥーン・スタジオが挙げられる。今回のコラムで筆者が取り上げるのは、MGMで素晴らしい仕事を成し遂げ、カートゥーン史にその名を大きく残した監督・Tex Averyの諸作についてである。
Tex Avery作品の醍醐味は、作品から溢れ出る狂気と暴走にある。Avery作品の何がすごいかを端的に理解したいならば、『おかしな赤頭巾(原題:Red Hot Riding Hood)』や『迷探偵ドルーピーの大追跡(原題: Northwest Hounded Police)』、『へんてこなオペラ(原題:Magical Maestro)』を鑑賞するのが手っ取り早いだろう。(特にMGM時代における)Avery作品は、どうかしている奇抜なギャグが機関銃のように連発されるのである。キャラクターがフィルムから脱走し、観客に向かってキャラクターが語りかけるなどといった光景はAvery作品では日常茶飯事なのだ。
Avery作品の奇抜さは、Averyによるアイデアだけにとどまらない。Averyが在籍していた頃のMGMには、Preston BlairやMike Lahといった全盛期のディズニー・スタジオから移籍してきた一流のアニメーターが数多く在籍していた。彼らによって描かれる驚いたキャラクターの目が飛び出るようなリアクションなど、上質なアニメート技術によって描かれる暴走気味のアニメーションが彼の作品では当たり前の光景である。こうしたAveryによるギャグと同等か、それ以上に奇抜な描写がAvery作品の支柱であったことは言うまでもない。
Avery作品を観た者の多くが、「これを作った監督は頭がおかしい」と思うかもしれない。ではAvery作品の狂気と暴走は、Tex Averyという監督のイカれた気まぐれによって生み出された偶然の産物なのだろうか?
恐らく、そうではない。Averyは緻密な計算に基づいて、作品が面白くなるようにギャグの精度とタイミングをしっかりと構成していたのである。彼は観客を笑わせる絶妙なタイミングをコマ単位で理解しており、おそらく「間」や「緩急」と笑いの関係性についても熟知していたはずだ。もしもAveryの作品がギャグをデタラメに配置しただけのものだったら、ギャグ単体は面白くてもただ「意味不明なもの」として終わってしまっていただろう。しかしAvery作品には不条理なギャグとギャグの間に観客を納得させてしまうようなロジックが仕込まれている。そこで起こっていることはデタラメだが、「なぜそれが起こったのか」については理解できるように作られているのだ。
Tex Averyは計算された狂気と暴走の先に、観客の涙が出るほど笑う姿を見据えていたに違いない。逆説的なギャグや暴走するアニメーション、不条理なプロット、過激なリアクション、全ては「笑い」のために計算されたうえで作られていた。公開から70年以上が経過した現在も、彼が監督した作品群は様々な世代の観客を笑わせ続けている。
<参考文献>
レナード・マルティン「マウス・アンド・マジック:アメリカアニメーション全史(下)」楽工社、権藤俊司(監訳)、2010年
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