かねひさ和哉の「フライシャー大解剖」第1回フライシャー兄弟って何者?

 かつて、1910年代末期から1940年代前半にかけて、挑戦的なアイデアとアニメーションを兼ね備える、独創性に富んだ作品群を送り出した伝説の兄弟がいた。マックス・フライシャーと、デイヴ・フライシャーである。

 本連載では、フライシャー兄弟の作品の魅力を「解剖」し、彼らの作品の魅力に再度スポットライトを当てていく。なお、筆者は2021年の春を目途にフライシャー・スタジオの作品を楽しむためのガイドブック同人誌の刊行を予定している。本連載は、ガイドブックの原稿を一部改稿・短縮した上で、再構成したものである。

 兄弟のアニメーション業界でのキャリアはマックスの実写をトレースし滑らかな動画を実現させるロトスコープの発明に端を発し、サイレント時代は道化師ココがインク壺から飛び出し現実世界を荒らしまわる楽しいシリーズ『インク壺の外へ(原題:Out of the Inkwell)』『インク壺小僧(原題:Inkwell Imps)』をコンスタントに制作し、成功を収めた。道半ばで自身が立ち上げた配給会社が倒産したり、配給会社と兄弟の仲介役だった人物に裏切られたりといったトラブルに見舞われたものの、兄弟のキャリアは1930年代に最盛期を迎える。

 彼らがニューヨークで立ち上げたフライシャー・スタジオは配給会社パラマウントの財政的支援の下、トーキーの波に乗ることに成功した。1930年にベティ・ブープを生み出し、1933年からは人気漫画『ポパイ』のアニメーション化に着手。1930年代前半のフライシャー・スタジオの作品は、その独創性において同業他社の追随を許さないバイタリティにあふれていた。しかし1930年代後半に入ると、業界を席巻していたウォルト・ディズニーに追従する空気が漂い始める。粗削りだが独創性にあふれていたアニメーションは抑制的進化を遂げ、1938年にはスタジオをニューヨークからマイアミに移転。1939年には長編アニメーション『ガリバー旅行記(原題:Gulliver’s Travels)』を、1941年からは人気漫画『スーパーマン』のアニメーション版シリーズを制作した。

 しかし積み重なる財政的問題は徐々にスタジオを圧迫し、兄弟の仲も劣悪になっていく。1941年12月に長編アニメーション第2作『バッタ君町に行く(原題:Mr. Bug Goes to Town)』を公開した直後、兄弟の仲は決裂。1942年に破産したスタジオはパラマウントに乗っ取られ、兄弟がタッグを組んで作品を送り出していた時代は永遠の終わりを告げてしまった。

 2022年で、フライシャー・スタジオが破産してから80年が経過する。しかし、フライシャー兄弟と彼らの下で働いていた精鋭たちが送り出した作品群は今なおその輝きを失っていない。サイレント時代は実写とアニメーションの大胆な融合で観客の度肝を抜き、教育映画でも成功を収めた。技術革新にも常に関心を抱いており、ロトスコープやステレオプティカル・プロセス(立体模型をアニメーションの背景に使用する技法)を発明し、新鮮な映像を生み出し続けた。そして何より彼らの作品には、アニメーションに対するたゆまぬ愛情、「絵を動かす楽しさ」が詰まっている。ダークなユーモアやジャズのリズムにぴったりと同期したアニメーション、そのすべてがあっけらかんとした楽しさに満ちている。

 次回以降、兄弟が立ち上げたフライシャー・スタジオが制作した作品について詳しく解説していく。本連載が、読者のフライシャー作品を楽しむ一助になることができれば幸いである。

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かねひさ 和哉
2001年生まれの現役大学生ライター。幼少期に動画サイト等で1930-40年代のアメリカ製アニメーションに触れ、古いアニメーションに興味を抱く。2018年より開設したブログ「クラシックカートゥーンつれづれ草」にてオールドアニメーションの評論活動を始める。以降活動の場を広げ、研究発表やイベントの主催などを行う。